毎月、5のつく日に、その時の氣付きを動画でお話しています。

2023年2月25日に動画をアップして、それを見ていて氣付いたことがありました。

いつも意識していることについて、急に質問されると普段と違うことを言う場合がある、というのはなぜだろうと思いました。

そして、それは質問される前の話題に影響されていたからだと気付きました。

ということは、感情にひっぱられて言葉を発した、答えが出たということです。

やっぱり感情に支配されやすいんだな~と改めて思いました。

「感情的になる」という言葉を聞くと、少し取り乱している状態が思い浮かびますが、あのときは、ごく静かに流れに沿った「冷静な感情」だったな~と。

傍から見ればたぶん冷静に見えるし、私も感情的になってるなんてまったく思ってなかったから、あれが感情にひっぱられた発言だとは一見わからない。

何度も言うけど、「感情的」って激高したり昂ってるイメージがあるから、静かで感情的な状態というのが思い浮かべにくい。

「あのとき、あんなこというつもりじゃなかった」
「本当はあんなこと思っていなかった」

これらはありがちな言葉で、わたしは、思ってない言葉は出ないだろう、火のないところに煙はたたず、と今の今までずっと思っていたけど、感情に引っ張られて思ってもいないことを言うことはあるかもしれないと思いました。

これも一種のグラマー(幻惑・錯覚)ですかね。

ある一定の意識を保とうとしても、それがすぐ彷徨う存在であることは日々の瞑想で身に染みて理解していますが、 よほど強固に意識を保っていないとすぐに引きずりおろされるんですね。

意識も瞑想も一緒なんだな~。

考えてみれば仕組みが同じなのは当たり前かもしれないけど、瞑想はなにか特別なことで、日常とは違うことだと思っていた。

本当に「瞑想」が練習というか意識を保つトレーニングには最適だし、結果的に瞑想するしかないのでしょう。

そして、変な物(よくない意識状態のもの)を見たり聞いたりしないことも本当に大切なんだなって。

テレビとかすぐ影響されちゃうもんね。

あと前提として浄化。

そういえば10日ほど前、『魂の光』にアストラル意識の解放の仕方について、左手の道が劇物、右手の道が瞑想というくだりがあって、瞑想しろって頭ではわかってるけど、どうしても左手の道に飛び込んでしまう。。。

(劇物っていうのは薬物のことで、私の場合はアルコールのことを意味します。)

意識を保つって大変。

結局、日々の過ごし方から、 浄化、 瞑想、全部セットなのね。