前回はこちら「プロジェクト・マントラの体験談①

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プロジェクト・マントラを終えて4か月経ち、今だからこそ氣付いた変化についてシェアしたいと思います。

私が行っていたのは、12/21~1/29の40日間でした。

まず、やろうと思ったきっかけが、開始する1週間前に首を痛めたという出来事に起因します。

首を痛めて、文字通り、頭が右も左も向けない、首が回らない状態が1週間近く続き、徐々に動けるようになったある日、たまたま会った友人が

「この忙しい年末に、プロジェクト・マントラ始めちゃった♡」

って言ったのです。

以前もやったのを知っていたので、「え?また?年末年始に?好きだね~」なんてのんきに答えた後、「ん?私もやってみようかな」と思ったんですね。

なぜかと言うと、首を痛めたときの原因は心因的なものだと捉えていて、「脇見をせずにちゃんと正面から向き合いなさい」というメッセージだと私は受け取っていました。

問題は、何に向き合うか、です。

でも、それは大した問題ではなく、すぐに何のことだか浮かんだのです。

だから、ある意味、いよいよ逃れられなくなったのだと観念していたところに、「プロジェクト・マントラ」の話を聞いたので、とりあえずやるか?と思ったんですね。

プロジェクト・マントラで唱えるマントラは、アートマ・クリヤ・ヨーガで毎日行っていたので、それなら問題なくできるだろうと高をくくっていました。

ところが、プロジェクト・マントラを始めて1週間も経たずに高熱を出しました。

コロナ以降、一度も風邪をひいていなかったので、ちょっと心配していたんです。

人間の体は健康を維持するために、時々風邪をひいてデトックスした方が健康的だと私は考えているのですが、3年も風邪をひいてないとなると、次に風邪を引いたときちょっと心配だなと思っていたのです。

そのためか、関係ないのか、とにかく症状がひどく、まさに年末年始は1週間ぐらい寝込んでいました。

そんな中、ありがたかったのが、寝ていてもマントラは唱えられたということでした。

寝ていることしかできなくて、頭も痛いから考えることや本を読むこともできず、それでもできるプロジェクト・マントラ。

ご飯が食べられなくても、唱えられるプロジェクト・マントラ。

むしろ、マントラを唱えるという目的があって良かったと思いつつ、横になったまま朦朧としながら布団の中でマントラを唱えていました。唱えながら寝てしまい、あれ?何分唱えた?と思いながらまた開始するのですが、またいつのまにか意識が朦朧として、唱えたのか唱えてないのかわからないから、ずっと唱え続けていました。

他にやることないし、何にもできないし。

20日目が終わったころ、やっと体調がマシになり、でも仕事はまだ無理かな?という不安があるぐらいの体調だったのですが、こんな状態だと本当に不思議なほど予約が入らないんですよね。

基本的に、私は自分の体調が万全じゃないときはセラピーを行いません。
逆に言うと、サロンの前は必ず体調を整えているってこと。

そして、私にとってのセラピーって、「ただ施術をすること」ではありません。

エネルギー的な観点で考えると、セラピストの状態がダイレクトにクライアントに伝わるので、私は万全な状態でしか行えないのです。

これはセラピーのエネルギー的な見解について持論があります。

それはさておき、予約が入らない=売上がない、という簡単な結果になり、あれ?具合が悪いとサロン続けられないんだな、と初めて考えました。

病気はほとんどしないしいつも健康体なので、本気で「体調が悪いと働けない」という事実に向き合う機会もなく、「病気になったらどうしよう」とも考えたことがなかったのです。

そして、プロジェクト・マントラを行っている最中、具合の悪い日々に起きた、一番の出来事は、グルジの来日騒ぎでした。

1月の始めごろ、3月に来日するという話が出て、ここで私のハートが喚起されました。

え?グルジが来日するなら手伝いが必要なんじゃない?と。何か手伝えることはあるかしら?と思って、AKYのティーチャーに連絡をしたのです。

それで、すぐ担当の方に話をつないでくださって、具体的な内容がわかったら相談するということになりました。

ところが、翌日、来日延期の報告があったのです。しかも来年。

え?!たった1日で覆る?と思いつつ、いや、それもあり得るなと思い直したのですが、そこで一旦保留になったセーヴァ(手伝い)の話だけ、進み始めました。

他からの引き合いもあって、でもそれは私にできる内容ではなかったのでお断りしたのですが、だけど、この時のグルジの来日騒ぎがあったことで、私の意識が奉仕に向いたのは確かでした。

この後、たくさん奉仕の機会を与えてくださり、現在も邁進しています。

グルジの来日騒ぎがもたらした奉仕に対する私自身の変容は、プロジェクト・マントラを行っている最中の出来事でした。

(もっと続く。)