アリス・ベイリーの『秘教治療』によると、第一光線のお香は白檀とあります。

先日の秘教女子会で、その根拠は何か?という話になりました。

第一光線に対応する植物があるなら、第二光線、第三光線もあるはずと。

実は私もそれは考えたことがあって、自分なりの予想はあります。

第二光線はいい線いってる気がするけど、第三光線は難しい。

でも、どっちにしろただの予想なので当てにはならないけど。

しかも最近は、いくら考えたところで所詮グラマーか、というあきらめ?もあり、それでも真面目に考えてはみるけれど、でもそんなのなんだっていいのかもしれない。

秘教の話をしていていつも思うのは、みんな「本当のことが知りたい」んだなということ。

そしてそれを、ちゃんと自分の頭で、根拠や整合性について考える。

秘教の本を読んでいるとしょっちゅうでてくるのは、教えを鵜呑みにするな、それが本当か自分で実践して確かめろ、そのうえで自分が正しいと思ったならそれでよいと。

だからさ、それって言い方を変えれば、ある意味、自分を信じろってことでもあると思う。

判断する軸は自分にあるのだと。

納得のいかないことを受け入れる必要はないのだと。

それで、サンダルウッドに話を戻しますが、第一光線のお香が白檀というのを読んだとき、最初は、え!そうなんだ!と思ったけど、その後色々思い返してみたら、確かになるほどと思う点はありました。

それは、死と再生という面において、思い当たることがあったからです。

サンダルウッドの香りは、理性や知性を重視し、感情や本能を自制してしまうとき、何かにとらわれていたり、強迫観念があるようなときという状況が考えられます。

その対象が、生と死に関するものなのかもしれないと思いました。

ある日突然奥様を亡くされた方が、サンダルウッドを劇的に好まれていました。

「僕ね、サンダルウッドが大好きで、ストックが5本はないと心配」と言うくらい。

好むというより執着しているという表現の方がしっくりくるような。

それが昔からずっと好きなのかはわからないけど。

ある意味、理性や知性で自分を統御している男性が、死に際したときの反応というか対応を目の当たりにした出来事でした。

死への執着なのか、生きることへの執着なのか、それが執着という表現で合っているのかもわかりませんが。

なので、私にとって、サンダルウッドは「死」にも関係のある香りだと思っています。

「破壊と再生」というより、「死と生」と言い換えるなら納得です。

ただ、『秘教治療』で書かれているくだりは、「 第一光線のお香は白檀 」というように、お香としての話です。

お香の煙は、亡くなった方への供養だと昔聞いたことがあり(それが本当かわからないけれど)、ただ香りだけで判断することでもない気がします。

お香としての白檀と、アロマのサンダルウッドを一緒にするのも、本来どうなのか?という点も気になります。

香道からみると、アロマのサンダルウッドと一緒にしないでほしいという話を聞いたことがあるからです。

アロマでは、サンダルウッドはインド産が質が良いと言われていましたが、スマトラ沖の地震で手に入りにくくなり、オーストラリア産がそれに代わりました。

私がアロマの勉強を始めたころは、サンダルウッドだけインド産とオーストラリア産の2種類が精油セットに入っていて、それがまたはっきりと印象が違うのです。

香りを嗅ぐテストがあったので、なぜサンダルウッドだけ2種類も・・・と思っていて、分ける理由があったのかは謎ですが、わたしはインド産の奥行きと深みのあるサンダルウッドが好きでした。結果的には違いを知っていることは大きいので、2種類入っていたことは良かったと言えます。

そして、国で見た時、インドの魂の光線が第一光線なので、なんとなくインド、白檀、第一光線というセットがしっくりくるイメージはあります。

前回の「サンダルウッドが好きな人は」と違う側面から、書いてみました。