私は昔から、気持ちがふさいだときは海を見たくなります。
最初に海が見たいと思うようになったのは高校生のとき。
高台から海を見下ろす公園があって、そこに上ると地球が丸く見えるんです。
そういう公園は海のそばには多いかもしれませんね。
どこまでも広がる水平線と、丸みを実感する地球。
東京に住むようになってからは湘南とか葉山に行くようになりましたが、海を見てもなんとなくすっきりしなくなったのは、砂浜から海を見ていたからかもしれないって今日気付きました。
そういえば竹富島で1日中海辺に座っていたときも、川平湾で変化する海の色を眺めていたときも、手を伸ばせばすぐ海だったなぁ。
しかも、私にとっては海を見ることが重要で、入るのは好きじゃない。
八重山が好きだったのも、周りがぜ~んぶ海だったからかも。あれだけ行ってたのに海に入ったことは一度もないけど。
大きな丸い海を見ていると、自分の悩みなどちっぽけなものに思えて、なんだかどうでもよくなります。
この、大きな海と自分という小さな存在の対比や、大きな自然がそのような気持ちになるなのかと思っていましたが、そういえば毎日見上げる空の方が、海よりもずっと大きく広がってるんですよね。
空を見ても海ほど気持ちが晴れないのは、空気と水の質量の違いなのかな。
エレメンタルで見ると水は感情だから、エネルギー的に同調したり、母なる海の波長に懐かしさを感じたり、気持ちがなぐさめられるのかもしれない。
こんなとき、やっぱり私は視覚が優位なのだなと思う。
触覚が優位な人なら海に入りたくなるんだろうし、聴覚が優位なら波の音が聞きたくなるのかもしれない。
海の事を思うとなんだか感傷的になった。
あの高台から海を見たら今の私はどんな気持ちになるのだろう。
石垣島に行ったらどんな気持ちになるのだろう。
あ、そういえば夕べ大ちゃんの夢を見たな。久しぶりに空も飛んでた。猫と。
真夏の海よりも、少しトーンダウンした静かな海を眺めていたい気分。