バガヴァッド・ギーターに、神を切望せよと書いてある。
けど、私は神を求めてはいない。
なのに、サットグルに出会った。
私は秘教も求めてはいなかった。ヨーガも瞑想も。
霊性やスピリチュアルはうさんくさいと思ってた。
なのに出会った。
切望などしていないのに。
ずっとそう思っていた。
切望せよと言われても、まったく思っていないのだから無理。
ところが、先日のマハー・オームチャンティングの後に行われたスワミニのサンガで、隣に座られた方が、同じことを言った。
その方は一時距離を置いていたが、つい最近、駆り立てられるようにオームチャンティングに参加して、やっぱり自分には必要だと思ったと言った。
「私は求めていないのに、なぜサットグルに出会ったのかずっとわからなかった。それが今日わかりました。私の魂がずっと求めていたのだと思います。」
と言った。
私自身もうすうすそんな気はしてた。
神を求めていないのは「パーソナリティーの私」で、「真の自己である私の魂」が求めているのだろうと。
アートマ・クリヤ・ヨーガを始めて、なぜ4年以上も毎日続けていられるのか。
この飽きっぽい私が。
それは、無意識のうちに、どこかで神を切望していたからなのではないかと。
パーソナリティーの私は、「生きたマスターに会ってみたい!」というめちゃくちゃミーハーな気持ちで続けてきた。
これも本当はおかしな話で、というのは、アートマ・クリヤ・ヨーガを毎日実践しなくても、ダルシャンに行けばグルジに会えるのだから。
よくわからない言い訳をして(?)毎日一生懸命、かつ不真面目にアートマ・クリヤ・ヨーガに取り組む私は、どこかで神を切望していたに違いない。
パーソナリティーの私はよくわからずにやっているけれど、魂に突き動かされてやっていることなのだと思う。
そして、はじめはなんのことやらわからずにやっていたけれど、続けているうちにわかることもある。
そうやってこれまでやってこれたのは、魂が求めていたからなんだろうな。
スワミニに初めてお会いして、魂が喜んだのがわかった。
見て、このめちゃくちゃ嬉しそうな顔。とにかくハートが刺激された!