今月は、秘教のイベントや懇親会、交流会に座談会と、とにかく秘教漬け。
そんな中、講座も怒涛の勢いで今月分を受講し終えました。
今日からいよいよ第三の書。
第一の書はラージャ・ヨガの目的や、実践において障害になるものが述べられており、そこで得られるものはサマーディの達成という締めくくりでした。
第二の書は合一へのステップということで、特にその障害と修正する方法が示されています。八支則のプラティヤハラまで説明されており、低位サイキック性質の統御と感覚の支配まで。
そして、これから第六感覚であるマインドの征服にとりかかろうというところまできました。
第三の書は、「合一の達成とその結果」というタイトルで、合一の達成とはサマーディのことです。 マインドの統御、熱誠家が低位性質を完全に支配するための方法が描かれています。
第二の書の復習であり、大切なまとめの部分がこちら。
ヤマ・・・外的な行動を正す
ニヤマ・・・内的な純粋さを達成する
アサナ・・・すべてのものに対する正しい姿勢を養う
プラーナヤマ・・・生命の流れを統御する
プラティヤハラ・・・五感の支配
ヤマ・ニヤマはともかく、アーサナはヨガのポーズとか、瞑想するための安定した座法、プラーナヤマは呼吸法と言われることが多い印象ですが、解釈が物質的であると感じます。
様々なヨガがあるのは、人間の発達においてそれぞれの役割の違いがあるためだそうで、何が良いとか悪いとかではなく、自分に合うものを行えばよいのかなと思います。
なんだってそうですよね。
いつも、自分に合うものを選ぶことができるんですから。
でも、それには自分のことを知る必要があります。
秘教を学んでいてまず重要だと思うのは、大きな枠組みの中で、自分の立ち位置を把握することです。
どの視点から見るか、どこを軸にするかで、物事は様々な捉え方ができます。
物事の答えや正しさは案外相対的で、絶対的なものではないのかなと思います。
だからこそ、客観的にニュートラルな視点をいつも持ちたいのです。
自分の意見や嗜好はあり、いつも思い込みで成り立っていると思うからこそですが。
話は戻り、プラティヤハラの次に続く、ダラーナ、ディヤーナ、サマーディが今回のテーマです。
第三の書はマインド(メンタル体)の統御だと先ほど書きましたが、第二の書までで感覚や感情(アストラル体まで)が統御されているという前提です。
啓示というのは一歩先を行くのだから、ラージャ・ヨガはこれからのヨーガであるとしても、アストラルでじゃぶじゃぶな現在の世界においては、はるか先の話のように思ってしまいます。てか、実際そうだと思う。
メンタル界の話は、昔は本当に意味が分からないというか捉えられなかったけど、だいぶ理解できるようになったつもり。昔の私に比べたらです。
サロンで推奨しているアロマ瞑想も、実はダラーナの実践です。
だからちょっと難易度が高いのかもしれない。
これは、魂の光を学んでから始めたというよりは、結果的にたまたまたどり着いて、それってよく考えたらダラーナの実践てことか、という感じなのですが、私にとっては経験として知っているしわかっていたことでした。
でも思い違いをしていたのかなと思ったのは、アロマ瞑想の効果というか結果は、ダラーナの結果であるということ。
結果のための瞑想ではないということです。
目的のための一点集中の結果が、現実化につながるんですよね。
表現しにくいので理解しずらいかもしれませんが、結果のためにやるのではないということです。
ちょうど今月行う講座で、動機・目的・手段・結果の一連の流れにも深く関係する話なので、よく読み返して熟考したいと思います。
いや~、今回もいいこといっぱい学びました。
講座の受講でインプットして、自分で講座を行うことによりアウトプットして、自分でも実践して、自分なりの方法論を洗練していきたいと思います。
知識を役立てるって、こういうことなんですね~。
あと、バガヴァット・ギーターについて、知ったことが1つ。
バガヴァット・ギーターは、“ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められており”とありました。
そうか、あれももっと大きな枠組みの中の一部分でしかないんだな~と思って、その『マハーバーラタ』には他にどんなことが書かれているんだろう。
自分の知っていることがすべてだと思ってしまうけど、いつだってほんの一面しかわかってないんだろうな、って改めて思いました。
世の中は知らないことであふれてる。
生きている間に見る世界なんて、ほんの一部で、その一部の中で生きているんだろうな。
でも、たとえ一部であっても、そこに宇宙の真理のすべてがつまっているのだと思うし、だからこそ、自分のいる世界を奥深く探究することで、すべてが理解できるのではないかと思っています。
生きている間にそれができるかはわからないけど、宇宙の構造はすばらしいし、美しい。