サイコシンセシスの講座の中で、完璧主義なサブパーソナリティーという話ができた。

そのとき、「完璧じゃないと私は愛されない」というたとえ話のくだりがあって、ちょっと驚いた。

なぜなら、私は完璧主義な傾向が強いけれど、「完璧じゃないと愛されない」とは全く思っていないから。

私にとっての完璧なことは、美しさ、あるべきものがあるべき形で収まっていること(整理されていること)や、シンプルなこと、秩序だっていることなど、
そういうものを見たり考えたりすることが、すがすがしくて、気持ち良くて、心地よいのだ。

美しさは、華美な美しさにはあまり興味がなく、整列美がとにかく好き。

幾何学的なというか、物理的なというか、直線的、正確で、理論的な美しさに感動する。

丸いものは乱れのない丸み、四角は角が整った四角、直線はよどみなく真っすぐに。

意識も思考も、整理整頓するのが好きだし、されているのが大好き。

そして、無駄のない、効率的なことが好き。

ここまで書いてみて、まあまあ変態だなと自覚した。

文字も、自分では書けなくても、バランスの整った美しい文字が大好き。

だけど、近年は完璧主義を解放中なので、アンバランスな文字が個性的で美しいと思うようになった。そこには、その人らしさがあるからだ。

印刷された画一的な文字よりも、その人らしさが表現されているクセが、その人があるべきようにあると思えて美しいと感じる。

さっきは無駄のないことが好きだと書いたが、無駄だと思っていたことも大事だと思う場面が増えた。効率ばっかり優先しているとつまらない。

特に何もしない時間はすごく大事。

そっか、これが対立するサブパーソナリティーなのかな。

無駄のないことが好きだけど、何もしない時間は大事という。

無駄と余裕は表裏一体だからな~。

どちらかに傾きすぎると、バランスが乱れる。

でも、私はこんな(色んな面で齟齬がある) ことばっかりだから、他人が聞けば混乱したり不確かな感じがして信用できないかもしれないけれど、私はこれらをすべて許容しているからなにも問題ないんだよね。

話しは戻るけど、そう考えると完璧主義というより、整理整頓主義みたいな感じがしてきたな~。

感情も意識も理論も、整理して理解することが好きだな~。スッキリする。

整理整頓が必要なときは、ローズマリーがサポートしてくれます。

今は慣れたけど、カンファ―という成分の匂いがあまり好きじゃないので、ローズマリーはちょっと苦手な香りだった。

整理整頓が好きなわたしにはそれが足りてるから、ローズマリーの香りを良いと感じないのかもしれない。