サイコシンセシスで出てくるサブパーソナリティー。

サブパーソナリティーは3種類の見方があって、それらは段階で分けて考えればすんなり受け入れられる。

あとは、人間は色んな面をあわせもっていて、どれが本当の自分か、という疑問がある方もいるかもしれないけど、全部自分でよくない?と私は思う。

あとは、キャラ設定みたいな、求められているキャラクターを演じてしまうこともあるけど、それは期待に応えたいという思いや、その奥にある恐怖心にスポットを当てると、自己理解につながると思っている。

(つい、周囲の期待に応えてしまう人は、イランイランでケア。)

また、そのキャラクターも、社会性という分類で考えると何が本当の自分か?とは切り口が違うような気もする。環境によって違う面が切り開かれると思う。

魂も役割があるように、パーソナリティーだって、色んな役割があると思う。

何が本当の自分か?って魂でしょ。

パーソナリティーのレベルで何が本当の自分か?なんて意味のない問いのように思う。

ちょっと乱暴な意見だけど、すべてはマーヤでいいじゃない。

例えばダイヤモンドは、多面的なカットであるほど美しくキラキラ輝く。

人間も、新しい面を発見すると喜びを感じたり、色んな面を持っている人は輝いて見えるという見方もできるのではないかと思うし、逆に一つの面を磨き続けることで輝くこともできる。

そこは、タイプの違いや、それこそ個性で、色んな自分がいることは、悩む対象ではないと思うのは楽観的すぎるのかしら。