サロンに来られるお客様の話を聞いていると、それは私自身へのメッセージなのだろうなと思うことがよくある。

話を伺って、引っかかる何か。
私はこの話の何に引っかかっているのだろう。
何に反応しているのだろう。
とよく考える。

私は興味のあることに関しては知っていることもあるが、社会的に未熟で視野も狭く知識も少ない。

生きている間にすべてを知ることなんて無理だし、そんなことができる人がいるとも思えないけど、世の中の多くのことをほとんど知らない。

昨年、「完全な人間などいないのだから、皆、障がい者である」という言葉を聞いたときは胸のすく思いだった。その通りだと思う。

私は完全な人間だ、と思うなら、それは「そう思い込んでいる」のだろうと思う。

特に、大人になるとなんでもできて当たり前と思われる。

赤ちゃんには、こんなこともできないの?このぐらい知ってるでしょ?とは言わない。

大人になっても、経験したこと以外は赤ちゃんと同じなのに。

大人は生きてきた経験の中で知っていることがある、それだけだ。

それも記憶することが得意じゃなければ、一度経験したことも忘れてしまうかもしれないし、すべてを忘れずに記憶していることなんてないと思う。

でも、そんなことで責められたり、非難されることは善だろうか?

「普通はこのぐらいできて当たり前」

そんなこと本当にあるだろうか?

私が思い浮かぶ世の中で当たり前のことと言ったら、人間は生まれてきたらいつか死ぬということぐらいではないだろうか。

私は近年、何かが原因で生きにくい人がいるなら、それは不寛容な社会の責任が大きいと思うようになった。

社会というのは、私たち一人一人の集合体だ。

特に障害を抱えている方たち。
発達障害、その呼び名自体も、不勉強ながら私はおかしいと思うのだけど、普通の人間など本当はどこにもいないのだから。

サロンに来られていた発達障害のお客様。
約束の時間を守れないという特性を伝えてくれて、それを受け入れた。彼女は、いつも人よりたくさんのことを考え、気にして、何かあったらすぐ謝って、なんだか見ていて苦しかった。
きっと周囲からできないことを指摘され続けた人生だったのだろう。
人より苦手なことがあるだけで、たくさん嫌な思いをしたり、色んなことを考えたり、苦手なことを克服したり、大変な努力をしている。
いわゆる普通の人?の方が、何も考えずのほほんと暮らしている中で、はるかに努力をしているように思えた。

苦手なことがあるだけで、なぜあんなに努力をしている彼女らが責められなければならないのか。普通って何?何様?何が偉いの?という気持ちが私の中でがぜん大きくなった。

私にだって苦手なことはあるけど、皆それぞれが個性的で、得手不得手がある。

得意なことは得意な人が担当して、助け合う世の中が良い。

苦手なことを克服するよう強要するとか、そんなこと必要ない。

知らないことは教えてあげたらよいし、教えてもらえば良い。

知ってて当たり前のことなんて何もない。

以前、教育とは何か、という話題になったとき、
「教育とは個人の特性を見極め、成長をサポートすること。」
だと、その場ではそんな話になったけど、私はその通りだと思う。

できないことを責めるのではなく、その人が得意なことは何か、どんなことに特性があるのか、逆にどんなことが苦手か、まずきちんと気質や傾向を見極める。そして、その人に合った方法で、得意な面を伸ばせるようサポートする。

これは、子供だけではなく大人も一緒。

できない部分、欠けてる部分に目が行きやすく、そこを補うことが良しとされている世の中はいやだ。でも、自分自身そういう視点が染みついていて、改めてよく考えないと気づかない。

できている部分をもっとうまくいくように努力することは、ずっと楽しいし、現に私は、自分が得意なことしかしていない。

人が成長するのはどんなときかというと、困難なときだと思う。

物事がうまくいかないとき、自分の立ち位置や役割は何か、どうしたらうまくいくか、自分の中に答えを見つけること、試行錯誤を繰り返すことが成長のステップだと思う。

他人のせいにしているときは成長しない。

必ず自分の中に答えがあるから。

なぜなら、今起きている現象は自分の意識が作り出しているから。

他人を通して自分は何を見ているのか、何を得ようとしているのか。

視野を広げて、大きな枠組みで見てみると、気付くことがあるかもしれない。

イン・ザ・プール(だったかな?)の名医・伊良部一郎ちゃんがたしか言ってた、
「否定したってしょうがないじゃん、本人がそうだって言ってるんだから。」
っていうやつ、本当にそれ。

相手を否定したってなにも始まらない。まずは受け入れてみる。
苦手な相手も自分の中の一部なんだろうと思う。

何度も言うけど、みんなが生きやすい、助け合える世の中が良い。

私ができることは何か、自分の得意なことを通してみんなが生きやすい社会になるよう考えて行動したい。